この塔は、正慶二年(1333年)鎌倉時代から南北朝時代に造営されました。
第二層の木組みの裏側に書かれた墨書から、この塔は大阪の天王寺と関係の深い技術者たちの手によって造られたと考えられています。
塔は初重が特に大きいのが特徴で、これがこの塔の最も大きな特色で二重、三重で組物を三手先という一番正規な組み方としています。初重だけは、少し簡単な二手先にしたので、その分だけ平面が大きくなっていて、形に変化がつきおちついた感じになっています。
このようなやり方はこの塔のほかは奈良の興福寺三重塔があるだけで、きわめて珍しいです。
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